明日死ぬかのように生きろ。人間いつ死ぬか分からない。

Learn as if you were to live forever.明日死ぬかのように生きよ。 永遠に生きるかのように学べ。

これは、ガンジーの名言です。

最近、日々の当たり前に感謝している。

朝、目が覚めて今日も生きていると思う。

今日も平和な国で過ごせている。

大きな病気にもかかっていない。

忘れがちだけど、なにもないって奇跡でできているんだなと実感します。

そう思ったのも過去を思い出したからです。

苦痛でたまらなかった社会人1年目

高卒で関西に就職。

本当に辛く、自分には大企業は合っていないと思いながらも、だましだまし日々を過ごしていました。

悪夢にうなされ、しょっちゅう夜中に目が覚めていました。

今思えば身体が拒否反応をおこしていたんだと思います。

現実逃避で走り屋になりました。

毎週、金曜日の晩は峠に行き、車中泊してました。

この峠を攻めるというのが、当時の会社を辞めずに済んだ、ストレス発散法だったのかもしれない。

人間はあっけなく死んでしまうという強烈な体験

これはあまり人には話したことがありません。

あまりに強烈な体験で、人間があっけなく死んでしまうんだと実感した出来事でした。

毎週のように週末は峠に行っていたのですが、走り屋をしているとたくさんの顔なじみの友達ができます。

その当時、自分はインテグラに乗っていました。

そのころ仲良かったシビック乗りの友達がいました。

よく2人で1列で走っていました。

あるとき、シビック乗りの友達の知り合いで、S2000乗りの人と仲良くなり、その日に3人で走ろうということになりました。

シビック、S2000、インテグラの順番に1列で走りました。

前の2台は自分よりも速く、おいていかれました。

しばらく追いつこうと走っていると、S2000が横を向いて止まっていました。

よくみると事故っているようでした。

ただ、走り屋の間では事故はけっこうあるので、車がスリップしただけかと思ってました。

そしたら、周りで止まっていたギャラリーの人達が一斉に走って行ってました。

ただごとじゃなさそうなので、自分も車を止めて近づいていきました。

すると、運転席のドア辺りに壁とぶつかっていて、けっこうな事故でした。

運転席からドライバーを出そうと4,5人で引っ張るのですが、全然抜けません。

これはヤバいと思いました!

自分たちではどうにもできず、レスキューの人がグラインダーやら、工具でドアを切断してなんとか救出できました。

そのまま救急車で運ばれ、友達3人くらいで自分たちも病院に駆けつけました。

手術室の近くの廊下の長い椅子で、3人無言で手術が終わるのをじーっと待っていました。

S2000乗りの友達の両親も駆けつけ、廊下で待っていました。

手術のランプが消えました。

終わり、ドアが開きました。

医者が出てきて、首を横に振りました。

正直、えっ!??ってなりました。

出血が多く、その日初めてしゃべった友達は亡くなりました。

23歳でした。

よく見ると、廊下にはポトポトと血痕が落ちていました。

ドラマでしか見たことのない体験をしました。

そして、その時の泣き崩れる両親の顔が非常に心が痛かったです。

一緒に走らなければ、こんなことにはならなかったんじゃないかって、ひどく落ち込みました。

それまで峠で死ねたら本望だとか思ってましたが、この出来事から死ぬのが怖くなりました。

そして、この日以来走り屋をきっぱり辞めました。

まとめ

言いたいことは、命は大事にしなきゃいけないってことです。

僕はこの友達の分も、一生懸命毎日を大事に生きないといけません。

そして、この経験を活かさなければいけません。

もし、辛くて生きていても意味がないって思ってる人がいれば、絶対に生きてくださいって思ってます。

あなたが死んで悲しむ人がいるってことです。

長くなりましたが、何かに悩んで苦しんでる人がいたら、1人で抱え込まないでほしいです。

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人に弱みを見せることは決して悪いことではないってことを伝えたいです。

今日はこんな感じです。

おしまい!!

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